発達障害の子どもは【普通】に生まれないから悲しい存在なの?

アスペルガー症候群

自分の子が発達障害と診断されたことが悲しくて、

その現実を受け入れられない、

と、泣いているお母さんの映像が流れました。

たまたま見たテレビです。

 

その現実はショックでした、正直言って。

発達障害の子どもとの関わり

昔から、

障害のある方々と仲良くさせていただく機会が多くあったり、

最近では、

発達障害の子どもさんたちが利用する、

放課後デイサービスでの

お仕事をさせていただいていたことがありました。

その時は、友人に頼まれたこともありましたが、

 

“ 子どもさんたちに発達障害があるから ”

 

お世話をするわけではなく、

単純に子どもが好きだから、

と言うか、

子どもと遊んでいるのが楽しいから行っていました。

 

仕事というよりは、

遊び要員としてお手伝いをさせていただいていました。

 

本当にみんなかわいくって、

いつもあっという間に時間が過ぎていました。

 

障害の差で対応を変えるのか?

重度の発達障害の子どもさんと、

軽度の発達障害の子どもさんは、

確かに、対応の違いはあります。

 

でも、

程度のことも考えますが、

一人一人の個性がハッキリしているので、

その子どもさんに合わせた対応をさせていただいていました。

 

もちろん、

発達障害がなく、

一般的には健常の子どもさんには、

そこまでの対応はしないと思います。

ある程度の協調は出来るので、

みんな同じことを学習してもらったり、

お友達同士で自由に遊んでもらったり。

この差があるのは間違いありません。

ですが、

障害があっても無くても、

個々に何かしらの特徴を持つのが人間で、

それを障害と診断されているか否か。

子どもということには変わりないと思うのです。

 

強い世界観

発達障害の人たちは、

独特の世界観があるかもしれません。

こだわりの強さが、部分的に出てくるので、

その世界を大事にしながら接していくこともあります。

 

私は、子どもの頃から協調性は、

あまりありませんでした。

 

ただ、

それを発達障害と言われることはなく、

“変わっている子”として周りからは認識をされていました。

言い方を変えれば、

世界観の強い子どもです。

 

独特だったとも周りからは言われてきました。

友人たちからも、いまだに言われます。

 

大人になり、

段々と本質が露呈してくる生きづらさは、

それはそれはしんどいもので、

この先、

私はどうやって生きていったらよいものだろうと、

そんなことばかり考えるようにもなっていきました。

“世界観が強い”ということの、弱みでもあります。

あくまでも私の感覚ですが。

 

親は悲しんでいたか?

そんな世界観の強さがあっても、

一度だって、

両親は悲しんではいなかった、と私は認識しています。

それは、

私が発達障害だとわかって育てたわけではないし、

この私の特性なのか性質をおもしろがり、

沢山沢山褒めてくれて、

私の世界観を認めてくれながら育ててくれたからです。

そりゃ、

めちゃめちゃ怒られたりもしましたよ。

言うことを聞けないこともあるので。

 

幼稚園の入園式には、

大暴れして行くまですったもんだだったらしいし、

人が集まるところに行くまでに、

とにかく大変だったようで。

 

今ならあまりしないとも思いますが、

叱って、協調を頑張るように促し、

教育という名の無理やりな社会性を覚えさせる・・・

これのおかげなのか、

極端なはみ出しのような状態にはならなかったのも事実です。

大人になり現れはじめる

この協調に縛られたのが原因かはわかりませんが、

空気を先の先の先まで読んでしまうので、

異常な過敏さはあったようです。

これは今もなので、

苦しさの一つでもあります。

 

過敏さは、どんなに気を付けても、

五感全ての問題なので、どうしようもないんです。

 

大人になるにつれ顔を出し始め、

段々と息苦しくなり、いい子ではいられなくなり、

いろんな現象が起き、

結果、

結婚して自閉症スペクトラムが発覚したのです。

 

発達障害を持つ側の気持ちは?

ここでやっと見えなかった正体がわかり、

夫さんにもそうですが、

両親にも勿論ですし、

これまでこんな私に関わってきてくれた人たちに、

本当に感謝しかなかったですね。

こんな私のことを大事にしてくれたのですから。

 

やっと自分がわかった気がして、

ほっとして涙が出てきたほどです。

ようやく

自分が自分でいられるようになっていくのかもしれないと、

きっかけをもらえたのです。

 

当事者は悲しくない

だから、

発達障害と診断された事が悲しい、

と泣いていたお母さんの姿を見たときに、

とてもつらく感じてしまったのです。

 

きっと、一生懸命に育てていくのだろうと思います。

 

でも、

私には、なぜ悲しいのかがわからないのです。

 

子を持つ親の気持ちがわからないだけかもしれない。

所詮、他人事なんだと言われるかもしれない。

子どもがいないからわからないでしょう、

とも言われるかもしれない。

 

それに、私は重度ではないし。

 

でも、

神様からお預かりした子どもさんなら、

子育ては本当に大変なことですが、

障害の有無に関係なく、

愛情を沢山注いで育てられるのでは、と思うんです。

 

悲しむ前に、

その子どもさんの特性がわかって良かった、

とは思わなかったのかなって。

 

きっと、お母さん方は一生懸命に勉強して、

療育のために力を注がれるとは思いますが、

発達障害や知的障害等には、

まだまだ垣根があるんだなって。

 

悲しませている存在でいたいわけないじゃないですか・・・

発達障害と向き合う親の違い

発達障害の児童のための放課後デイサービスにいたとき、

私の目でざっくりと見て、

3パターンのお母さん方がいました。

  1. 発達障害を認めて、その子どもらしく過ごせるように取り組んでいる
  2. 発達障害かもしれないが、教育すれば改善するとがんばっている
  3. 手に負えないので、専門施設に入所させて任せたい

全て、親御さんの気持ちは正しいんだと思います。

でも、

2に関しては、

無理なものは無理なんですよ、ホントに。

“治る”って思って頑張って、

塾や習い事を沢山している子どもさんも結構いました。

けど、

反動はあって。

デイに来た時に、一気に爆発する子どもさんが多かったですね。

だから、

沢山体を動かして遊んでいました。

どうしようもないこともある

キャッチボールはできますよ

 

私は、あることが苦手です。

これは、訓練してどうにかなることではなかったようです。

ようやくそれがわかり、

夫さんも理解してくれて。

もちろん、私もやっと納得しました。

 

不得意でも、不得意なりの対応策はあります。

 

“ なんで出来ないの? ”

“ なんでわからないのかな~・・・”

“ 賢いはずでしょ? ”

“ それは性格的なものでしょ? ”

 

と、最近も知人に言われてかなりショックでしたが、

本当に出来ない、わからない苦しさは、

周りの人にはわかりません。

 

逆も言えます。

私だって、わかってあげられないことばかりですから。

 

決めつけないで欲しいんですよね。

『 自覚すれば直せる 』

って。

 

がっかりしすぎないでほしい

泣いていたお母さんの気持ちには寄り添えますが、

それでも両親のもとに生まれてきたのだから、

発達障害の子どもさんの特性を見つめて欲しいなって。

 

夢や希望を持って子どもさんを生んだのだと思うし、

でも、

子どもさんを育てられる幸せを貰えたなら、

わからないのは当たり前として、

特徴のハッキリしている子どもさんと楽しんで欲しいと、

このドキュメント番組を観て思ったことでした。

子どもが存在する意味は?

私たち夫婦には子供がいません。

とても欲しいと思いますが、

なかなか私たち夫婦のもとには縁が結ばれていません。

 

『私がこんなんだからかな・・・』

 

と思うことがあったりもしましたが、

今は、

なるようにしかならないなって。

 

私も夫さんも、

基本、子どもが大好きだし、

子どもがすごく欲しいし、

自分で言うのもなんですが、

二人とも子どもや動物には好かれます。

何故かはわからないけど。

 

自分の子どもだからとか、

他人の子だからということではなく、

縁のある人たちと関わろうかと。

段々とそんなふうに思えるようになっていました。

 

きっと私には育てることは難しいのかもしれない。

子どもが好きで、遊んだりお話したりすることは得意でも、

毎日ずーっと一緒にいて育てる。

もしかしたら、

私にとっては、とんでもなくハードルが高いのかもしれない。

このことはスゴく重要なのではないかと、

やっと実感をし始めたのも事実ではあります。

 

子どもがいるから幸せな家庭である、ということではなくて、

子どもに対して、どんなふうに思い、

どんなふうに一緒に生きていくか。

そこで学ぶべきことは何かを、

人生を通して

気づいていかないといけないのかなと思うんですね。

 

そういう存在が、子どもなのかもしれません。

 

何のために子どもの存在があるか?

夫さんはとても優秀な人で、

優しいし、誠実だし。

だからこそ、

この人の遺伝子を残したいとずっと思っていました。

 

でも、

なかなかそうはいかなかった。

そうじゃないからなんですよね、きっと。

 

まだ諦めきれないけど、

一人の人間を産み育てることは容易ではないことも、

周りの人を見ているとわかるようななんというか。

 

でも、

その大変さも幸せなことだなって思うんです。

私たち夫婦は、

その大変ささえも経験できない寂しさもあるわけですから。

子どもに夢を託すことは当然のことなんだろうと思います。

だからこそ、

産めなかったとしても、

産んだ子どもに障害があっても、

悲しんだあとには、

しあわせな子育てをみんなでして欲しいなと、

私は思うわけです。

 

それに、自分の子どもじゃなくても、

みんな同じ大切な子どもたちですからね。

きっと、

子どもを通して一緒に、

親も周りの大人も、成長はしないといけないんですね。

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