子どもの頃から、どこにいても居心地が悪いことは私の【普通】だった!

こだわりの世界

 

普通ってなんだろう?

子どもの頃から

何かと普通協調性について

家族からも学校でも言われてきたような?

 

友人たちも、

世の中の人たちも、

“ 普通はさ ”ってよく口にしてて。

 

私は、その“ 普通 ”に悩まされてきたような。

同じ答えが言えない

小学生の頃。

国語の授業で挙手をし、

指されて、

先生の質問に答える。

 

“ ほかの人と違っていて良いですね!! ”

違っていて良い?!

なんでだろ。

まず、それがわからなかった。

 

国語は嫌い

わざと同じことを言わないのではなく、

本当にそう思ったから答えたのだけど、

違うことが何故そんなにもいいことなのか?

 

算数は違ってはダメなのに。

だから、常に困惑はしていて。

国語はいいの?って。

 

というか、

そもそも、違うとは思ってないのに、

違うことが何なのか?

同じことは間違いなのか?

 

わからないことが多かった。

 

次も期待されるようになると、

本当に意味がわからなくて。

先生は違う答えを私に期待する。

“ 多数の人は〇〇だけど、どう感じますか? ”

 

そんなことを言われても、

何にも思わないことだってある。

 

“ 同じです。”

 

と答えたときの、

何とも言えない先生の

“ そうなの? ”

って顔がショックだったことがあった。

 

結局同じに

違うことを求めるけど、

最終的には、

人数の多い方の解答が正解とされる。

じゃあ、

どうして答えさせたのかな?

今ならなんとなくはわかる。

きっと、

ディスカッションのためだったのかもしれない。

けど、

子どもの私は

答えを覚えさせられたようにしか感じなくて。

褒められる。

でも、

考え方を

「 正解 」

に変えなければ丸を貰えなかったり。

 

最終的には理解をする。

じゃないと、

いつまでも

“ 間違い ”

が続く。

理解をするために、

解答を覚えるしかないなんて、

つまらなかったなぁ。

これは本当にしんどいことだった。

 

だんだんと面倒になる

漢字を覚えたり、

音読や作文を書いたりは嫌いじゃないけど、

国語の授業は、

本当に大っ嫌いだったな。

この苦手さは、高校まで続いた。

 

『この時の芥川の心情は?』

 

なんて言われたって、

問題があっての解答があるとしても、

芥川本人以外わかるわけないのに・・・

 

自分の思ったことを答えても

先生の欲しい解答にならないのは、

それは当然のことだと思うんだけどね。

本気で先生に訴えたし。

“ 作者じゃないのでわかりません!! ”

 

ドン引きです、先生にしたら(笑)

今だから笑い話になることもあるけど、

当時の私にとっては

本当に大変なことだったのですよね。

 

私の感想を修正

読書感想文も、

私の感想なのに、

どうして手直しされるのか?

授業での発言は

みんなと違っていたら褒められたのに、

感想文って私の感想で。

なのに、

先生の感覚に合わせないとならないの?

あ~。

やっぱりわからない・・・。

マジで無理~

 

そんなことが続くと、

だんだん、面倒になってきて。

 

だから後々、

たった一つの答えがとても楽な、

数学や理科が好きになり、

得意教科になっていった。

居心地の悪さが増え始めた中学時代

国語では

多少は違った意見で褒められることがあったけど、

持ち物にしては、

注目・注意されることがよくあった。

 

自分が欲しいもの、

着たいもの、

身に付けたいもの、

使いたいもの、

食べたいもの。

 

ものにもよるのだけど、

流行っているからといって

欲しくなることは殆どなく、

大体は、

いつも使い続けているものや、

同じものにこだわって。

汚れていても、

それじゃなきゃダメ。

みんなが同じじゃなければならない理由が

いまいちわからないのに、

ただ注意をされたり、

違うことに対して、何かを言われたり。

悪口ではないけど、

“ どうしてそれを選んだの? ”

とか。

青い服を着たっていいじゃん・・・

っていう感じとか。

幸いにもそれが原因で

いじめられたりなどは全くなかったけど、

どこにいても、

居心地の良さを感じたことは

あまりなかったかもしれないな。

 

苦手が増え始めた

中学生になると制服になる。

これはスゴく楽だった。

学校に行くために絶対に着るものなので。

周りもそうだったとは思うけどね。

考えなくて済むし、

何より楽に“ 同じ ”でいられる。

 

髪型、靴下、

バッグや靴、持ち物にも

ある程度、

決まりが出てくるのが中学時代。

明確に決まっていると納得できるのだけど、

特に決まりはないけど、何か条件はある・・・

これが本当に困ることだった。

 

曖昧に悩む

「 何となくの条件 」

に合わないことに当てはまると、

当然注意される。

 

先生からも、

先輩からも。

 

何が悪いのかわからない。

 

例えば、

2Hの濃さの鉛筆が大丈夫で、

3Hの濃さの鉛筆は注意。

なんで~???

そこまで違わないよね~。

 

筆圧の強かった私にはちょうど良かったのに、

2Hの鉛筆くらいまでにしなさいって。

薄くて見づらいからと言われて。

こういう、

曖昧な決まりや

言い回しに悩むこともしばしば。

 

「 理由は何ですか? 」

なんて質問したら最後。

「 決まりだからだ!! 」

と。

なんでよ・・・

 

今となっては、

そんなこと・・・

な、出来事でもある。

 

けど、

やっぱり理由がわからないと

すんなり入ってこない。

わかるまでこだわったり。

ずっとそうだった。

制服のように、

決まりが明確だと納得はできる。

 

疑問だらけ

部活は、かなり厳しいと有名だった、

バスケットボール部に入部した。

小学生の頃からクラブに入っていたし、

何も考えずに入部した。

 

先輩は、顧問よりも怖かった。

でも、

わかりやすい怖さだったから、

先輩の言うことさえ聞いていれば、

輪を乱すことにはならない。

理由はどうであれ、

決まりを守ることに徹した。

 

今思えば、

一人の先輩に対して、

 

“ おはようございます ”

“ こんにちは ”

“ さようなら ”

 

を、

何故に3回ずつ言わないとならなかった?

先輩がごそっと10人歩いてきたら、

単純に30回の挨拶。

×30。

 

いまだにわからない決まり事でしたね・・・

とことんまで追求してしまう

子どもの頃から

“ どうして? ”

“ なんで? ”

が強くて、

父母は大変だったようで。

でも、叱られるようなことはなかった。

※ カメラとかを分解したとかは別

 

今は夫さんが大変らしい。

大変というか、

“ しつこい ”

と思っていたみたい。

一度こだわると、納得するまで時間がかかるって。

「 出た!!どちて?ちゃん 」

 

そんなこと言われてもね・・・

気持ち悪いからなんですよ。

 

こだわりが強い

好きなこと、もの。

収集癖

 

興味が出ると、つい。

何でもかんでもじゃないけど、

“ これ!! ”

と思うと、ず~っと好きで、

ず~っと止まらない。

終わらない。

 

夫さんは、

この一筋感を、

ここまでくるとスゴいと、

応援すらしてくれるようになった。

 

脳の特徴

院長先生と臨床心理士の先生に言われたのは、

“ そもそもの脳の作りがそのようにさせるから、

性格ではないのです ”

と。

性格なのかとずっと思っていたけど、

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の人の、

脳の特徴の一つだったらしい。

ハッキリとさせないと

落ち着かないそうだ。

 

時間は特にそう。

曖昧さが行動に影響が出てしまうほどで。

「 だいたい〇時頃くらいかな~ 」

ほ、本気で辛いのです。

わからん・・・

 

落ち着かない・・・確かにね。

そうなんだけど、

性格がそうさせていたと思っていたから、

驚いたけれども、

ホッとしたところもあるのも

事実だったりする。

 

夫さんも、

何となくは理解はしたみたいだけど、

納得となるとまだ先かもしれない。

居場所が出来るまで

同じじゃなくてもいい、

でも、結局は同じに。

個性は大事。

でも、協調性が基本。

 

私だけではないとは思うけど、

この流れに乗れなくて、

でも乗らないとならなくて。

しんどかったことが殆どだったかもしれない。

家でも外でも居場所がなかった。

 

知能指数が高い

ズバ抜けているわけではないけど、

IQ知能指数がわりと高いせいもあり、

ある程度のことはこなせてしまうし、

一度頭に入ると忘れなかったり。

イメージで覚えてしまうこともあるので、

コンスタントに勉強をし続けなくても、

そこそこの成績は取れてきた。

 

だからかはわからないけど、

大学時代も、勤めてからも、

許容量を超えてしまうことばかりで、

それも、

そのことに気づかずに突き進むので、

突然に発作が起きてしまうことが

だんだんと増え始めた気がする。

 

適応障害

人との関係性や

社会に関してわからない感覚が多いけど、

それでも出来ることはとことんやるし。

頑張れるのに、でも、

パニックを起こしてしまう時期もあったり、

どこにいてもキツイなぁと。

鬱のような診断を受けたこともあったけど、

いまいちピンとこないことも昔はあった。

 

今のクリニックの先生に出会い、

いろんな角度から診ていただく中で分かったことは、

適応障害

によるものだったとの見解には、

本当に驚いてしまった。

 

無理のない生き方

外で働くことはできないので、

この数年は在宅で仕事をしているけど、

それでも

全く人に関わらないことはないし、

むしろ

忙しくなりすぎることも多くなって。

夫さんにも訴えてはいても解決は厳しい。

でも、

過集中の特徴が出にくくなるようなそんな対策を

臨床心理士の先生と考えたのが、

時間割

を作ることでした。

 

夫の協力も

仕事のある日、

仕事の無い日、

の分けて、時間割を作成。

隙間があると何かを埋めるので、

埋めたくなっても、

“ 今日はこれしかしない ”

と決めたら他はしないことを訓練することも含めて

取り組むことにしました。

我慢しかないんです。

 

夫さんにも伝えたら、

合わせられるところは協力すると。

まだ訓練の途中なので、

かなり自分にとってはヘビーです。

※ 興味が出ても手を出せないから~。

 

居場所、できた?

ようやく、

私が私のまま生きていていいと、

そんな風に思えてきました。

夫さんは

ずっとそう思ってくれていたのですが。

 

私が何故にこんなに苦しいのかがわからなくて、

「 普通 」

に出来ていないのかと罪悪感ばかりで、

お互いに悩みながらここまで来ちゃってました。

 

ようやくお許しが出たような、

それくらいの気分です。

夫さん、ありがとう!!

 

治ることはない

自閉症スペクトラムは

治るとか治らないとかではないので、

日常生活で、

自分でも生きづらい面を改善出来るところはして、

夫さんと考えのすり合わせをしながら

この先を歩いていく・・・

そういうことのようなんですね。

夫さんは優しくて誠実な人なので、

本当に協力的ではあるんです。

でも私が、

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)であると

納得はまだまだできてないって。

理解はあっても、納得できてない?

ふぅ~ん。

 

先は長いので、

夫さんと猫さんたちと、

のんびりとやっていきます。

 

・・・時々は不具合はあるでしょうけど。

 

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